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2011.2.12 「罪が赦された喜び」 小山正子

聞き手;教会と共に歩んでこられた人の一人、小山正子さんに登場していただきます。小山さんは、誘われて最初の会堂に来られたのが、クリスチャンになるきっかけだったのですね。
小山姉;はい、そうです。もう20年も前のことになります。
聞き手;教会の前に来られて、“教会って、どこ?”と言われたのですよね。
小山姉;はい、尖塔のある白壁のイメージとはぜんぜん違って、小さな古ぼけた(失礼!)日本家屋でしたからね。
聞き手;でも、そこが小山さんの新しい人生の出発点になったのですね。
小山姉;そのとおりです。神様のなさることは、ほんとうに不思議で、すばらしいと思います。神様に感謝しています。
聞き手;では、お証しをお願いします。


私は、両親の死を通して教会に来るようになりました。母は長くアルツハイマーを患い、父はその介護で疲れ果て、まさかと思っていた父が、ある日突然トイレで倒れ、そのまま亡くなりました。葬儀のあと、骨だけになった父を見て、何もかもなくなるんだ、とたまらない気持でした。そして、母も半年後に、父のあとを追うように亡くなりました。
 それからしばらくして、両親が住んでいた家も売られ、大切にしていた物も、沢山がらくたとして捨てられました。一つ一つ思い出の物がなくなっていく中で、心はむなしく、全てのものは変わっていく、ある物はいつかなくなり、人の心も変わっていく、いや自分の心も変わっていっている、何か絶対に変わらないもの、真実なものがこの世にあるのだろうかと思い、ウツウツとして日を送っていました。
 そんな時、近所の方に声をかけられ、しばらくして教会につれて来ていただきました。その頃の教会は野上にあり、二階建ての普通の民家でした。私の想像していた、ステンドグラスのある教会とはまったく違っていました。しかも中に入ると、畳敷きに机が置かれていたのです。驚きましたが、先生方や教会の方が温かく迎えて下さり、水曜日の朝の集会に行くようになりました。賛美がとても心を慰めてくれました。
皆さんが熱心に聖書のお話しを聞き、祈っておられる姿を見て、ここに本当のもの、真実な変わらないものがあるように思い、水曜日になると足が教会に向くのです。聖書のお話を聞いていく内に、この聖書の神さまは厳然と初めからおられ、罰をあてる怖い神様ではなく、高くて聖い、この私をも愛して下さっている愛なる神さまだと知って驚きましたが、又とてもうれしく思いました。そしてまたこんな御言葉に心が止まりました。「私が道であり、真理であり、命なのです。」変わらないもの、本当のものはここにあるのかもしれないと思い始めました。
 御言葉を聞いていくうちに、何だか罪とか罪人とかいう言葉がこの耳に度も入ってきます。心の中で、私のことではない、私はあんな大変な親の介護もした、あれもした、これもした、罪人どころか私は良い人間の部類ではないか、とつぶやいていました。挙句の果てに先生の所へ“罪、罪と言われますが、私は罪人ではありません。”と言いに行ったのです。
 何というわからない者でしょう。しかし、今まで平気で読み過ごしていた聖書の中の一人の人物の姿に、これはひょっとして私のことでは、と思い始めたのです。丁度その頃、集会で歌われていた賛美、“神は独り子を賜うほどに世人を愛し給う、神は愛なり、ああ神は愛なり、汚れ果てし我さへ愛し給う、神は愛なり”。という賛美が、涙でくもって歌えなくなりました。汚れはてた私をも愛して下さる神様の愛が迫ってきました。その晩、静かに自分の心と向き合いました。
 物心ついた頃からのいろんなことが思い出されました。意地悪な心で人をいっぱい裁いた事、自分をかばう為についたウソの数々、そしてこの口でたくさんの人を傷つけたこと、はっきりその時のことが思い出され、苦しくて持っていることができなくなりました。先生の所に行って一緒に神様の前に出て、思い出す限りの罪を言い表し、心から罪を悔い改めて、「心安かれ、汝の罪赦されたり」と御言葉を頂きました。肩から大きな荷物をおろした様でした。
この私の数々の罪の為にイエス様が十字架にかかって死んで下さり、尊い血汐を流して下さったのです。この十字架が私の為だったのです。このことがはっきりわかり、十字架を信じて救われました。
教会に来ていなかったら、御言葉の光があてられなかったら自分の汚れた罪の姿もわからず、一生自分は良いとしながら、不平・不満の中を歩んでいた事でしょう。
 イエス様に救われてから、私の生き方も変わっていきました。今までしていた事ができなくなったり、価値観や日常の生活が変わっていきました。いつもイエス様の十字架を仰いで、ゆだねて生きるようになりました。
その後、赦された罪は氷山の一角で、私のど底にあるものがどれ程汚いかにも光が当たっていきました。しかし、自分の力ではどうすることもできません。己を愛してやまないこの自我さえも、血汐はきよめて新しいイエス様の命、復活の命に活かして下さいます。神様がイエス様を通して一方的に与えて下さったこの深い大きな救いの中を、今私はイエス様を愛し、救われたことをいつも感謝しながら歩んでいます。

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