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2014.6.15 礼拝メッセージ: 「なお安息は残れり」  ヘブル4:1−16

本書は、救われてある程度年月が経っているのに、成長していないクリスチャン、迫害下で最初は戦いに耐えたが、やがて疲れ、信仰を捨て、ユダヤ教に逆戻りしようとするクリスチャンを励まし、信仰に踏み留まらせるために書かれた。

 

1.神の安息がある(1節) 神が備え、我らを入らせようとし給う聖潔の恵みがある。イスラエルの民は、小羊の血によって出エジプトした。我らも罪の奴隷だったが、悔い改めと十字架を信じる信仰によって罪の赦しと義認が与えられた。

 

イスラエルの民は、カナンの地、乳と蜜の流れる地を目指したが、贖われた恵みを忘れてエジプトを懐かしんだ。しかし主は忍耐し、マナを降らせ、岩から清水を湧き出させられた。このように恵みを忘れて主につぶやく情け無い民を、主は導かれた。

 

我らもすぐに不信仰になり、つぶやく。しかし、主は我らを忍耐強く導き、カナンの地、聖霊に満たされたクリスチャン生涯へと導き給う。勝ったり負けたりの荒野の生き方ではなく、常勝不敗の生涯だ。そういう神の安息が我らのために備えられているのだ。

 

2.神の安息に入り得る約束がある 神の安息に入ることは約束であり、それはまだ存続している。主は我らの内なる汚れをご自身の血で全く潔め給う(1ヨハ1:7)。自我を十字架に始末し、キリスト内住の恵みを与え給う。必要なのは謙遜と渇きと信仰だ。

 

(1)自己の真相を認める謙虚さ。自分という存在がどれほど汚れているかは、低い心で御言葉の前に出て、その鋭い光に照らされれば分かってくる(12節)。徹底的に自己の真相を見せつけられ、絶望するのだ(イザ6:5、ロマ7:24)。(2)潔められたいと願う渇き。自分の姿が分かったら、潔められたいと願う。聖潔は魂の最深部からの要求であり、主ご自身の願いだ。(3)イエスが必ず潔め給うと信じる信仰。イスラエルをカナンに入れたのは、モーセではなくヨシュアだった(ヨシ3章)。我らが潔められるのは、律法の行いによらず、イエスを信じる信仰による。神の事実は、信仰によって自分に結び付けられねばならない(2節)。なし給う主を信じるのだ(マル9:23、10:27、イザ60:22)。

 

3.神の約束に入り損なう危険がある イスラエルの民は、不信仰のために約束の地に入れなかった(11節)。御声に従わなかったからだ。我らもその危険がある。与えられている約束に対して、すぐに信じ従おう(7節)。我らは神の安息に入れられるために贖われた。いつまでも荒野の生活に甘んじ、不勝利の生活を続けてはならない。主は、恵もうとして我らを待ち給う。

 

残された神の安息に、信仰をもって入り、聖霊に導かれるクリスチャン生涯を始めさせていただこう。主の血で贖われた神の民のための約束を、確実に自分のものにしよう。不信仰のために入り損なうことのないように。

 

4.そのために大祭司がおられる 我らには、大祭司なる神の子イエスがいます(14節)。このお方によって大胆に恵みの御座に近づくことができる。為し給う主を信じて求めよう。

 

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